歴史

東京帝国大学唐手研究会
東京帝国大学唐手研究会

東大空手部は大正14年(1925年)、当時東京帝国大学医学部の学生であった檜物一三と松田勝一によって「東京帝国大学唐手研究会」という名で活動を開始した。大正15年の新学期から同会名で会員を募集し、十月から師範に富名腰義珍を迎え山上御殿下のバラック建ての旧道場で稽古を開始した。東大空手部は、全国の大学空手において慶応義塾大学の大正13年に次いで二番目に発足された部である。当時会員は50名以上を数え、さらに独自の練習法を研究し全国にさきがけ実践稽古である組手練習を取り入れるなどして、ますます活動を盛んにしていった。また初代会長に高橋良之助工学部助教授を迎えるなど、学内における組織体制も整えている。

昭和11年には会名を「空手研究会」に改め、二代目師範に大塚博紀先生(和道流創始者)を迎え組織として足元を固めてゆく。この頃会員数は百名を越え最盛期を迎える。昭和16年には当会多年の努力が結実し「全学会鍛錬部総務部空手部」(東大空手部と略称)として公認され、爾来部則等漸く整備される。

翌年の昭和17年には当部昇格して「全学会鍛錬部空手部」として公認される。この頃より学徒動員の為次第に部の運営に困難が生じてくる。昭和20年にはGHQから武道禁止令が出されるが、昭和22年部再建の議が成り、学生課との交渉の結果、拳闘部(旧空手部)として再建される。

昭和24年には教養学部空手部が発足する。この頃から駒場と本郷それぞれにおいて練習が行われるという今日の体制が始まった。この教養学部空手部は現在駒場生主体の練習である駒場練として続いている。さらにこの頃東大拳法会という空手部OBによる会が設立され、東大空手部は現役・OB共に確固たる組織運営がなされるようになった。さらに合宿や交歓稽古、演武会などが盛んに行われ、部活動として完全に軌道に乗った。昭和三十年代には、試合制度の確立に伴い練習内容も試合に勝つことを意識した練習の比率が増えてゆき、今日の練習体系に至っている